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031賓 甲骨365

平成31年1月31日(木曜日)20190131太陰太陽暦1226戊辰05

原姿力発想031お宮21賓

それは、おもてなし!?

賓を甲骨文字のシンプルな形まで遡ると、

[会意]宀(べん)+万。白川翁は金文から宮の宗廟に犠牲を薦める意とし、その後さらに貝を加えて「賓」となるとする。神霊を迎えるときの礼。賓は賓客。賓客とは、古くは客神を意味した。

〔詩、周頌、有客〕は、殷の祖神を客神として周廟に迎えることを歌う。賓は客神。またその客神を迎え送ることを、賓迎・賓送という。それよりして人に返報するを賓といい、主に対して客礼をとることを賓といい、主従の礼をとることを賓服・賓従という。

甲骨文には成において、大甲(祖先神)へ、父の乙に対して、賓の儀礼を斎行することが刻まれている。

合2203(一期)に見える「賓」は、人と進む足の造形である。

合17569では、お宮の中に「即」の象形が見え、食の前に蹲踞する人であり、まさしく、おもてなしを表現した表現だ。

また、下の「修」も、人をうつ象形であるが、

修祓儀礼を連想させる。食の前に禊、神々をまつる前に。その聖域に踏み入れるとき、そして祭祀を斎行する際に、禊の儀礼は欠かせない。我が国での一般的な簡略化された方法としては、お参り前の手水となる。

甲骨文のひとつひとつを深く考察していくと、その數は膨大となるが、もうひとつ。

十干十二支も刻されているために、三日後の日付の経過が解読できる。

祭の準備は、祭とともに重要である。当日まで緊張感とともに、細部にわたっての確認を怠らない。滞りなく申し上げましたと、神々ではなく人々(みなさま)にも報告をしなければならない。合5733は初期の甲骨で、祭のために用いるかどうか、占ったものである。

【賓】15[音]ヒン [訓]まろうど・もてなす・みちびく・したがう

大陸の古代の「お・も・て・な・し」は、半島から列島へ、東の端の日本に保存された。誤解を覚悟で解り易く言えば、商王朝の原点は、日本の神道にその起源を求めることができる。このことをわれわれ日本人は誇りに思うべきだし、近代の国境意識や、未だ續く幼稚な争いをつつしみ、東アジアの根っこのひとつ(甲骨文字の世界)を大切すべき。。。

ただ、恨むらくは、高山深嶺(こうざんしんれい)に四禪(しぜん)の客乏しく、幽數(ゆうそう)窮巌(きゅうがん)に入定の賓、稀なり  空海「請乞入定處家」

弘仁七年(810~824)、空海は、高野山に修禪の道場を、嵯峨天皇に願い出た。賓稀な地。深い山々の険しい磐、この世界に人が分け入る覚悟はあるか?空海は問いかける。

賓が稀。おもてなしは稀だからこそ、おもてなしなのである。

空海翁は、来客をおもてなししたかったに違いない。こんな深い山奥にまであいに

きてくれたのだから

こんな深い甲骨の森を臨んでくれたのだから、、、

原姿力発想031お宮21賓 了。

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