041 克 甲骨365
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「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。- 野村克也 -
平成31年2月10日(日曜日)
20190210太陰太陽暦0106戊寅15
原姿力発想041祭祀10克
克は、
物事がうまくいく。
よい。
たいへん縁起の良い文字である。
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しかし、この造形の成り立や解説には考察すべき点が多い。
白川翁は[象形]木を彫り刻む刻鑿(こくさく)の器の形。上部は把手、下は曲刀の象形とする。さらに〔詩、大雅、雲漢〕から「后稷(こうしよく)克(しる)さず」の〔漏箋〕に「克は當(まさ)に刻に作るべし。刻は識(しる)すなり」とあり、克はその克識を施すための器とし、ものを刻することから、克能・克勝の意となり、また克己のように用いる。とする。
また、落合先生説は、克を動物の皮を剥いだ状態を表すとする。
口が頭部の表現であるとするが、明らかに、祝詞を入れる器(サイ)である。
肉を奉納する際に、皮を剥ぐ儀礼が行われたことは想像することができる。また地名用例は、その皮を剥ぐための施設名だとも考えられる。
実際の甲骨文をトレースして、諸説を検討する。
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やはり、頭ではなくサイ(口)である。
また取っ手や器であるのであれば、何故、取っ手の上にサイ(口)を置くのか?
白川説、落合説を再検討。
造形デザインを甲骨文字の造形の中から組み合わせて考察すると、卯の「神さまに捧げる片方の祭肉」と祝詞の器「口(さい)」に見える。詩、大雅、雲漢から「后稷(こうしよく)克(しる)さず」の文も、祭祀を捧げる意味でとることもできる。よって、水分仮説としては、まつりの肉と共に祝詞をあげる大祭に用いる儀礼のデザイン!
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祈りは鼓舞するもの、その肉を叩き、祈りの効果を上げる。その土地は刻まれている。
克を殳(うつ)象形~甲骨文に見えるのは、地名用例
結論は安易に導くことができないが、祭祀において吉であり、
儀礼において、「よい」効果をもたらした言霊力があることは間違いない。
そんな発想をもって人名をみていくと
「克也」は縁起の良い名前だ。
小林克也さんは、19410327なんですね~誕生日一緒だ(笑)
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甲骨文字365日、誰に指示をされるでもなく、自分自身に課した重荷です。こつこつがんばるから、応援よろしく~!
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重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。- 野村克也 –
原姿力発想041祭祀10克 了。
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