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申考2 亡くしたもの。失ったもの。[倒木祭祀]

亡くしてしまった。失ってしまった文字を、亡失文字(ぼうしつもじ)という。

2023年11月21日 癸未の日。



 亡失文字とは、今の漢字には存在しない文字。よって現代漢字の知識があっても、その知識をあてはめても正確な意味はつかめない文字でもある。現代漢字に継承されなかった文字であるから現代人の辞書にない文字ということになる。既成の概念や膨大な過去の書籍、文献資料にも登場しない。無論、ネット情報やSNSでは正確な真意を、言語化するのも難しいだろう。AI 人工知能はAlphabet文化圏には通用するが、漢字文化圏は簡単には通用しないのではないか。ともいわれている。それは文字が持つ本来のチカラまでAIは知る由もないからだ。AIなど取るに足らない。文字の深さを知っている我々には。


 すこしの曲線や、シンプルなライン、わずかな小点の中にも、ひとつの文字造形の中に、どれだけの古代の風景が広がっているか。AI人工知能にはわからないだろう。


文字の深淵なる世界、その古代の發想は、また別の角度で突きとめる必要がある。甲骨文の文脈の中で考察すると、まずは、祭祀名か、人名か、貞人名か、文法か、それは現代人の感性を超えている文字構造の原点がある。しかし何よりも重要なのは古くからの神道以前にあった「神道かむながら」の祭祀の名残りを感じながら、その祭祀の根本からも読み解かねばならないということだ。


亡失文字…現代人が継承できなかったこと、ここにこそ深い根っこの真実が隠れているのではないか。


十二支の9番目「申」造形を考察する中でほかの干支と異なり、

「申」の要素をもつ甲骨文字はほとんどないことがわかる。

唯一、特殊な形で「申」要素をもつ文字が、この文字である。


中央に「申」造形を含む特殊な文字は、

現代の漢字を隷定するならば「木+申+木」の文字要素である。

木と木の造形…林の間に、カミナリが落ちる。

甲骨文の文脈から読みとけば、そこに鬱鬯(御神酒)をもって修祓し、場を清める

倒木祭祀の祈りが刻まれている。今は忘れ去られた文字から読み取れる3400年前の重要祭祀名である。


十二支の発想・むらかみすいぶん P171


 台風や、自然災害の後の大木の変わり果てた姿が目に浮かぶ。

 時代は最近になるが、我が国の歴史上の文献資料の中にも、御神木(ごしんぼく)を切ったものへの祟りなどの記述があり、似た記録は地域の神社関連にも多い。






「草木、大木」との共存。「カミナリ」への畏怖の念。

そして自然がうつりゆくその時の流れ。失われた文字には大切な祭祀が隠されていた。

そいて何十年も十二支の謎を考え続けてきたその真実にすこし近づいた。

一連の十二支の流れが、古来からの我が国の祭祀作法の流れと同じであることに気づいた。


 十二支の後半は7番目の「午」からはじまる。

 8番目「未」→9番目「申」→10番目「酉」と続く。


「午」は糸、古くは結縄、現代の注連縄ともいえる。祭祀の世界への入口でもある。

「未」は伸びゆく草木。祭祀の「榊」である。

「神(申)」 雷が木々に落ちる。畏怖の念をもって斎行する。

「酉」はお神酒。直会を意味する。





草木の芽生える仕草は「生きる」の文字にもなった。

生命力(草木)「未」は、祭祀の入口(注連縄)「午」と「申(神)」のあいだにある。

十二支の時の流れは、人類最初の「生命」循環のサークルの発想。

思いを、興し、求め、刻んだ。

その想像力に驚嘆しかない。





人類の発想の根源を突き止めたい。

時は循環する。


われわれが、

亡くしたもの

失ったものを。

もう一度取り戻して。

それはすでに、足元にあったのだから。



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