卯考04。見えないものを見えるように。
パウルクレーは『芸術とは、見えるものを再現するのではなく、見えないものを見えるようにするものだ』という言葉を残した。抽象的なカタチ『卯』は芸術的な造形だ。ここでも見えないものを見ようとする想像力が必要となる。
これまで見てきた流れの十二支の二番目の「丑(チュウ)」、三番目の「寅(イン)」は、「手」の造形と「矢」の造形であり、それぞれに具体性があったが、この四番目「卯(ウ・ボウ)」は抽象化された特殊造形である。「卯」造形は二つに分かたれた「なにか」をあらわし、具体的なモノというよりもその『分け合う』という行為そのものを表現したと見える。この両分するその行為「卯」とは何か。
〇十六 分卯祭祀
「卯」の十二支以外の卜辞用例には「卯一牛」「卯羊」などと記され、釈文として「牛一頭を裂く」「羊を殺す」と訓み、「卯」には「さく」「ころす」という訓義がつけられている。しかし、この「さく」や「ころす」の意味は、ただただ野蛮な行為ではない。現代の文明人よりも劣った古代人の原始的な行為として、簡単にかたずけてしまうのは誤りである。「卯」そのものは祭祀儀礼の「肉」をあらわしてる。慎ましやかな祭祀儀礼の中で特別な犠牲を捧げる。その肉は神饌である。神饌は両分され、祭祀対象としての神々(自然・祖先)と人間のあいだで『二つに分けあう』ための行為となる。
両分する表現こそが重要な祭祀上の意味をもつのである。先史時代においては、石器や土偶などのモノを意図的に壊して断片化しそれを交換、再利用、または埋納した形跡が考古学から確かめられている。
考古学者のジョンチャップマンは『断片化』と『連鎖』という概念を用いて『その背景にある一体となしていたものは、別々のものに分かれた後もつながりを保ち続ける』という。
我が国の縄文中期の土偶にも、毀されるべくして部位を故意的に分割し、頭部、手足、乳房などを別の場所へ移動した。
古代ギリシャのキプロス島から出土した新石器時代の土偶にも破片状態のものが出土し、接合しないものが多いという。その断片や部位を受け取り、互いに分け合う。
たとえ遠く遠く離れた別の場所でも、その分たれた断片は「つながりの連鎖」を持ち続けるのである。
神道祭祀の最期を締めるのは直会(なおらい)である。直会において分け合う御食御饌(みけみき)は、神々との饗食と共に執り行われる。祈りのかなった神々のお下がりを分け合い、お受けし、共鳴と共感をもって互いに幕を閉じる。
また、キリスト最後の晩餐を伝承した儀式であるミサでは、聖書朗読と、聖体拝領(プロテスタントでは聖餐式)の流れで、司教により聖書のことばが読まれた後に、聖体とよばれるパンとぶどう酒を、キリストの血と肉として信徒に分け与える典礼が行われる(ルカ二二)。
古代祭祀から現在に至る世界の宗教行事まで、何を分け合うかは具体的にはそれぞれ異なるが、分け合う行為そのものの『断片化』と『つながり』は共通している。
甲骨文の祭祀卜辞には「分卯」という二文字連語が儀礼名としても刻まれている。分は「八」+「刀」。「八」造形はこの場合は両分された記号。下部は刀で切り分ける形。原姿十二支の発想の前半として、この「分け合う」行為は、豊かな知恵のあり方でもある。指先の思考から道具への熟知、遠くへ飛ばす弓矢から得たものは、共に分かち合うべきものだった。
「丑」「寅」「卯」と直会に至るまでの作法は「さく」「ころす」で終わる野蛮な行為ではない。
三四〇〇年前の人類は、自分たちだけがよければよいとする人と人だけしかいない、ヒトファーストの世界ではなかった。自然神や祖先神など、さまざまな神々と共に「分け合い」ながら暮らしていたのだろう。収穫や利益、特に「食」は人間だけではなく自然界にとっても限りある貴重な資源である。神饌として分け合って、つながりを強く深めながら、時間という暦はすすんでいく。
※卯殳は神饌をつくる造形だろうか。地名として刻まれているため神饌奉製場(調理場)であったかもしれない。
たった4本のラインを刻むだけ、抽象的な概念を表現した「卯」造形。
シンプルな造形の中に、我々が見えてなかった確かな物語がある。
かけがえのないもの。ささやかでも、分け合おう。
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