戌考2 成。創始者の成せるかがやき。
「成る」とはどいうことか。日本神話『古事記』においては「修理固成(つくろひかためなせ)」という語がある。神々が、イザナギノミコトとイザナミノミコトに、「漂っている国土を修理固め成せ」よ命じた。現代の「成」といえば、成人式「Coming of Age Ceremony」や、成功「success」、成り上がり「an upstart」、「a jumped‐up person」、「the newly rich」などの詞があるが、英訳すると何も共通点がない。「成る」も、be composed of. consist of〔【略】C/O〕 be made up of〔be composed of〕など、「成る」という文字はどう伝えたら良いのか。
「成」とはなにか。甲骨文字の造形。
成…基本造形は戌+丁(□)。丁は四角く囲われた城壁の表現で「都市」を意味する。その都市を威厳ある戌(神具)で、守備する意。甲骨初期から後期にかけて意味も付加されている。造形は丁(□)が傍線Ⅰに略され、現代漢字造形となった。のち「成立」「完成」の意味にもなる。
甲骨文では王名「成」として、建国者とされる大乙の別名として刻まれている。
殷(大邑商公宮)王朝の創始者:大乙には、二つの名があった。その一つの名前が『成』である。
後期に至るまで、多くの文の祭祀に祖先神として祀られている。王名(大乙の名)は(上甲、成、大丁、大甲)と並べて刻まれていることから、(合1244)上甲の家臣とする説もある。
「十二支の発想」P208
甲骨文の合1248正に刻まれている王賓成日は、王が大乙(成)を、おもてなす日で、祖先にたいして「もてなす」ことを祭祀の重要な日とする。まさに戌の持つ本来の意につなげれば、よりその威光に磨きをかける美しい祭りの日であったかもしれない。
「賓」…祖先神を迎え入れ、宀(べん(お宮))にて、おもてなしを斎行する祭祀。
戚…飾りのある儀礼用の鉞の象形。※金文で叔の文字が鋳込まれた。叔(しゆく)は戚(まさかり)の頭部に、刃光の下放するさまを加えたもの。戈を加えた戉戚の造形。後世には仮借して親戚の意味に。ほんらい守ってくれるのは親族である親戚であったのだろう。兄弟や家族、そして親族のつながりは、シンボルをよりかがやかせた。
戌(いぬ)造形それ自体は神では無いが、刃を反転させて「王」となり、装飾された神具でもあり、商王朝創始者「成(大乙)」の名前の造形要素となるため、祖先神や神々のもつ創造物「戌」として欠かせないものであった。それは格別な輝きを放った神具であったのであろう。「亥」の最終章に向かう前の、祭祀に欠かせない神具として、有終のかがやきを放っているようだ。
その輝きはなんのためにあるのか。
大自然はわれわれに恵みをもたらすとともに、人知を超えた自然災害の驚異があり、地上において非力なヒトのチカラでは、適わない獣たちも多く存在する。本来は生活空間も限られていて、ヒトはどこにでも住めるわけではない。
□(四角)は暮らしをまもり、矩を超えない限界の領域である。領域の外に戈をふるうのではなく守るためにある。
他の生物の領域を侵し、殺傷するために青銅器は創られていない。ながらく「鉄の時代」へ移行せず(殺傷能力を高められるにもかかわらず)、長い青銅器時代を保ったのには理由があるのだろう。
支配のためではなく、内なるかがやきと誇り。
それは循環する自然の中に、まどかなる流れの中にある。
かがやきて、何をまもり大切にするのか。
われわれ人類の科学技術は、美しい循環する時を奏でているか。
耳を澄まして目を覚ませ。
原姿を發想せよ。
コメント