西暦2025年 巳年は子年。その2
2024年02月19日 癸丑の日。 2025年に向けて。その2
巳年とは何か?なぜ子ども造形なのか。
十二支の発想の根源にせまる。
甲骨文字発掘以降も、著名な学者たちの考察がある。しかし発掘から120年経た現代においても、いまだ「十二支」の最初の発想の真意は、誰もつかめない。現代も使う暦、現代も通用する漢字、その3400年前の文字創成の原初の発想。それは人類の内的宇宙に潜んでいる最大級の謎のひとつである。
文字学に大きな功績を遺し、重要な資料である甲骨文合集を編纂した学者に郭沫若翁がいる。その郭沫若翁ですらバビロニア天文学をもちだして西洋占星術と掛け合わせたような十二支考察で、巳年の「子」造形を、ふたご座として仮説を展開している。現在、この説をとるものはいない。
時代は遡り紀元100年の許慎「説文解字」においても十二支解釈の記述があるが、陰陽五行論や算命学の流れの春秋戦後期の時代の流れを汲んでいて、許慎は十二支を草木の成長と見立てて独自の思想を展開している。現代にこの説をとるものはいない。許慎も真意を掴むことはかなわなかった。
もしも1番目の「ね」が子であれば解釈は簡単だろう。子どもからはじまる。しかし6番目の「巳年」に「子」造形がくる。この不可思議な謎を解くことができるのか。
そこで、12造形を真ん中で分けて考察をする。
甲骨マンダラcircleの配置で
流れを感じることで、その繋がりを読み解く。
そして「子」を6番目に配置した意図として、古代人の発想に立ち、
二つの仮説を想定してみる。
これは子になる成長過程。
ただの子でもではない。
子どもを蛇のように、得体の知れない排除すべきモノとして扱ってはいけない。
子造形と、子どもを、そのように解釈することからゆがんだ世界が邪悪な未来へ突入した。
時間はすすむ。
あらためて、「子」を見つめよう。
十二造形はうつくしく
循環する人生なのだ。
つづく…
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